家康の師太原雪斎ゆかりの臨済寺と清見寺 

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2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の主人公徳川家康は幼少時代を駿府・現在の静岡市で過ごし没したのも静岡。静岡には家康ゆかりの史跡がたくさん残っています。本記事では、幼少時代家康の教育係ともいうべき役目を担った太原雪斎ゆかりの臨済寺と清見寺を紹介していきます。2020年10月に訪問してきました。当時写真を撮っていなかったので文章のみの説明になってしまいますが、みどころと歴史的背景を併せて紹介しますので最後まで是非ご覧ください。

家康が駿府にて幼少時代を過ごした背景

従来、家康は幼少期今川家に人質として捕らわれていたという説が一般的でした。人質というと捕らわれの身で不自由な暮らしであったという印象を持ちますが、最近は人質とはいってもそれなりの処遇をされていて決して不自由というわけではなかったとする説が有力のようです。家康の正室築山殿は、今川義元からみて姪にあたり、今川家の一門に連なる待遇を家康に与えたことから、この説には説得力があると思います。なお、築山殿と今川家の血縁については様々な説がありますが、築山殿の実家関口氏は今川一門に位置付けられているので、姪ではなかったとしても一門の女性を婚姻させたことには変わりません。そしてもう1つ不遇とは言えなかったといえる大きな理由は教育係として太原雪斎がついていたことです。雪斎は今川義元の人生の師でもあり、義元の軍師として、外交においては隣国の強国である武田・北条と三国同盟を締結させ、戦闘においては小豆坂の戦いで織田信秀(信長の父)を破って三河を今川家の勢力下に組み込むなど、今川家の最盛期を作り上げた立役者です。より細かいお話は別の機会に譲るとして、そんな雪斎が住職をしていたのが臨済寺と清見寺について見てゆきましょう。

臨済寺

静岡市葵区にある臨済寺は、臨済宗妙心寺派のお寺で今川家の菩提寺になっています。修行寺として通常は一般公開はされていません。年に2日、5月19日(今川義元命日)と10月15日(摩利支天祈祷会)だけ特別公開が行われ、その公開に併せて拝観してきました。

静岡駅から徒歩ではちょっと距離があるので臨済寺前バス停までバスで移動するのがお勧めです。まず目に入ってくる山門の上部には徳川慶喜が揮毫した”大龍山”の山号が見えます。山門をくぐって本堂へ登っていくと立派な本堂が現れます。本堂の中には今川義元・氏輝(義元の兄)の木像や太原雪斎の像など普段は公開されていない貴重な像を見ることができます。本堂からつながる大書院への廊下では、美しい庭園を眺めることができます。大書院には徳川や今川ゆかりの品物が多数収められ、この時代が好きな人ならいくらでも眺めていられます。僧侶の方に質問すればいろいろと教えていただけるので本当に勉強になりました。ここには、竹千代手習いの間があります。部屋自体は後年再現して作られたものとのことですが、家康が実際にこの寺にて雪斎から手ほどきを受けていたことは間違いないのですから470年ほど前のことを想像してみるのも楽しいです。奥の茶室は展望スポットになっていてここからの眺めも趣があります。

年に2日しか公開されないので日程が合わせづらいですが、見どころいっぱいのお寺ですので是非一度訪れてみてください。

清見寺

静岡市清水区にある清見寺は、JR興津駅からバスで5分ほどのところにある臨済宗妙心寺派のお寺。歴史は古く白鳳年間(天武天皇のころ)に関所が立てられ傍らに関所鎮護の仏堂として建立されたのが始まりだそうです。関所としての立地であったことから想像できるように、軍事的な要所であることから戦時には陣所となり戦火をこうむることもありましたが、雪斎によって復興されました。雪斎がこちらの住職も兼ねていたことから、竹千代も雪斎が清見寺に居るときにはこちらで手ほどきを受け、この寺にも竹千代手習いの間があります。豊臣秀吉の小田原攻めのとき、清見寺の鐘が陣鐘として使われ、今でも当時引きずられたあとが鐘に残っているそうです(残念ながらよくわかりませんでした)。江戸時代には朝鮮通信使が滞在し、駿河湾を臨む見事な景色に感嘆したのだとか。お宝としては、室町幕府初代将軍でありながら像がほとんど残っていない足利尊氏の座像などがあります。ほかにも庭園や潮音閣などみどころがたくさんありますので、臨済寺に寄ったならばこちらにもぜひ足をのばしてみてください。


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