北国街道の要衝 敦賀

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北国街道の要衝・敦賀は、古くから天然の良港として知られ、京都から比較的近い距離にあったこともあり、歴史的にも非常に重要な町でした。北陸新幹線敦賀延伸によって東京から乗り換えなしで到達できるようになり関東圏とのつながりの強化が期待される町です。

敦賀延伸した北陸新幹線

2024年3月に北陸新幹線は金沢ー敦賀間が延伸され、東京から直通列車が福井県まで久しぶりに通ることになりました。もっとも敦賀が目的地の場合、距離的には東海道新幹線経由のほうが近いこともあり東京ー敦賀の所要時間は実は特に短くなってはいません。JR全線完乗している身としては延伸したら乗りに行かないといけない(?)ため東京ー敦賀を北陸新幹線で乗りとおしてみましたが、金沢を過ぎるとだいぶ乗客はまばらになり、敦賀まで乗車している乗客は1車両に数名といったところでした。一方敦賀ー金沢・富山を結ぶ従来の特急サンダーバードの役割を担っている新幹線「つるぎ」はそれなりの乗客が乗っており、やはり北陸新幹線延伸は大阪まで到達しないと本来の役割を果たせない気がした次第です。

敦賀到着直前の「かがやき」の車内の乗客はまばら
敦賀駅新幹線ホーム

敦賀駅は新幹線開業に伴い巨大化していましたが、乗り継ぎは、同じく中途開業している武雄温泉駅は同じホームで乗り換えられたのに対し、巨大な駅構内を移動しないといけなくなっていて関西方面から北陸方面は便利になったかと言われるとそうでもなさそうでした。乗り換え誘導の係員が多数駐在していて、コストも相当かかっていそうでした。

敦賀駅新幹線改札口
敦賀駅乗り換えコンコース 案内係員がたくさんいました 人件費高そうです
敦賀駅外観

敦賀市内は循環バスも走っているので公共交通機関である程度の見どころは回ることができますが、郊外にも足をのばしたい場合はやはりレンタカーが便利です。

金ヶ崎城跡と金崎宮

要衝敦賀の地は南北朝時代と戦国時代に大きな合戦がありました。その舞台となった金ヶ崎城跡は現在は桜の名所として知られています。詳しくはこちらから。

敦賀の鉄道遺産

かつてはロシア・ウラジオストクを経てヨーロッパへと向かう鉄路の日本の出口であった敦賀。敦賀は山に囲まれた地で敦賀へ向かう道はいずれも難所であったこともあり、敦賀には鉄道遺産が多く残されています。

ヨーロッパへの鉄路の窓口であった敦賀について

敦賀港駅跡と鉄道資料館

旧敦賀港駅は、現在鉄道資料館になっていて入場無料で敦賀港駅関連の資料展示を見学することができます。

鉄道資料館になっている旧敦賀港駅
鉄道資料館にあるトリックアート
旧敦賀港駅近くにある赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫隣に保存されている急行若狭号

小刀根トンネル

敦賀市のはずれにある玄蕃尾城跡に行く途中に、小刀根トンネルが残っています。当時の姿で残っている日本最古の鉄道トンネルです。

小刀根トンネル
小刀根トンネル
小刀根トンネルについて

旧北陸線トンネル群

敦賀と今庄の間は難所の木の芽峠越えがあり多数のトンネルが掘られて鉄道が開通しました。旧北陸線は現在はほぼ道路になって残っていてトンネルをはじめ当時の遺構を見ることができます。

大桐駅跡
大桐駅跡
山中信号場跡
敦賀今庄間に残るトンネル
敦賀今庄間に残るトンネル 幅が狭いので信号による片側通行規制がある

気比の松原

日本三大松原の1つに数えられる気比の松原は敦賀の代表的観光名所。美しい松原と海岸線があります。

気比の松原
気比の松原

気比神宮

北陸道総鎮守にして越前の国一宮の気比神宮は敦賀の顔ともいえる神社。地元では「けいさん」と呼ばれているそうです。

気比神宮
気比神宮
気比神宮の末社
末社摂社について
角鹿神社
旗掲松 南北朝時代に当時の宮司が南朝方として奮戦し旗を掲げていたという
ユーカリ
芭蕉句碑 奥の細道の中でここにも立ち寄っているそう
芭蕉像

玄蕃尾城跡と賤ケ岳古戦場

敦賀市南端は滋賀県と接していて、滋賀県側に少し進んだところに賤ケ岳古戦場があります。賤ケ岳合戦のとき柴田勝家が本陣としたのが玄蕃尾城。玄蕃尾城についての詳細はこちらから。

賤ケ岳古戦場の麓にある余呉湖
賤ケ岳合戦について

賤ケ岳古戦場にはリフトで登って行くことができるのですが、本来開業しているはずのリフトがまだ開業しておらず、残念ながら賤ケ岳へは登れませんでした。

西福寺

国の重要文化財に指定されている建物が多くある西福寺。そのうちの1つの御影堂は現在改修中です。

西福寺
西福寺
庭園
西福寺
西福寺

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