龍虎一騎打ちに思いをはせて 川中島古戦場

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戦国時代の合戦を5つ挙げるとしたら、川中島の戦いはかなりの人が挙げるのではないでしょうか。武田信玄と上杉謙信というビッグネーム同士の戦いとはいえ、歴史は勝者が作るということを考えると、時代の勝者にはなりきれなかった両雄の戦いがそれだけ印象深いものであったということではないでしょうか。2023年2月に川中島古戦場を訪問したときの様子を紹介していきます。

アクセス

川中島古戦場は、史跡公園として整備されていて、長野駅から松代方面のバスで川中島古戦場バス停まで22分で行くことができます。バスは日中でも30分に1本は走っています。

川中島の戦いの概略

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄とのあいだで繰り広げられた北信濃での戦いの総称を川中島の戦いと通常は呼んでいます。歴史の勝者の戦いではないため、1次資料はあまり多くなく現在の通説は甲陽軍鑑に拠っているといえます。通説によると川中島の戦いは天文22年(1553)から永禄7年(1564)までの12年間に5度の戦いがあり、中でも第4次の永禄4年(1561)9月10日の戦いは激戦で信玄・謙信の一騎打ちの伝説を残したものです。川中島の戦いのあと、武田信玄が北信濃の大半を領国化していることを考えると実質的には武田方の勝利といえそうですが、第4次の戦いの戦死者には、信玄の弟で副将格の典厩信繁や山本勘助など武田方の重要武将が討ち死にをしており、より痛手を負ったのは武田方との見方もできます。後年の長篠の戦いで武田軍が大敗したと評価されるのは、戦場から離脱したこともそうですが、戦死者の数自体は織田・徳川軍と武田軍双方それほど変わらなかったにもかかわらず武田軍は多くの重臣が討ち死にしたことがあげられますので、北信濃の大半が武田方にわたってしまった上杉方も、典厩信繁らを失った武田方も双方負けといえるような戦いだったのかもしれません。

八幡社

史跡公園の中には八幡社がたたずみ、信玄・謙信一騎打ちの像や三太刀七太刀之跡の碑、執念の石、首塚などがあります。

八幡社
信玄・謙信一騎打ち像
首塚
執念の石 本陣に突入してきた謙信を討ち漏らした原大隅が悔しさのあまり石を槍でついて穴があいたという伝説の石

長野市立博物館

史跡公園内には長野市立博物館があります。市立ではありますが展示品はかなり充実しています。長野盆地の歴史と生活を主なテーマにしており川中島の戦いについての展示もあります。

武田信玄像
信玄と謙信

周辺の史跡

典厩寺:武田信繁の墓があり、日本一大きな閻魔像が武田上杉両軍死者を供養している。

山本勘助の墓、諸角豊後守の墓、胴合橋などがあります。各所へは歩いて歩けない距離ではないですが車があったほうが便利。

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