宗谷本線は、今でこそ長大な盲腸線となり本線とは名ばかりとなってしまっていますが、かつては複数の路線が分岐していた堂々たる本線でした。今では単なる途中駅となってしまったかつての分岐駅ですが、かつては分岐路線が出ていたということはその地域の交通の要衝として栄えていたことの証であり、その名残は今でも見て取ることができます。宗谷路駅めぐりの締めくくりは、そんな分岐駅を見ていきましょう。
名寄
名寄駅は、かつては南北を走る宗谷本線に加えて東へは名寄本線、西へは深名線が乗り入れていて十字路を形成していた鉄道の要衝でした。今では途中駅となってしまいましたが、旭川ー稚内間の中でもっとも大きな町であり今でも宗谷本線の重要駅であることに変わりはありません。旭川ー名寄間は比較的列車本数も多いので利用者数は宗谷本線の中では最多。駅前駐車場のライドパークも満車で、車の中からの撮影だけしかできませんでした。

美深
名寄以北の宗谷本線は列車本数もぐっと減り利用者数も一気に少なくなってしまいます。その中でまだ利用者数の多い駅である美深駅は、名寄以北の最初の主要駅。かつては国鉄一の赤字路線と言われた美幸線が分岐していました。美深とオホーツク海沿岸の枝幸を結ぶ予定で計画された路線は結局わずかに途中の仁宇布まで開通した時点で工事は凍結されそのまま廃線となってしまった路線です。美深駅には美幸線に関する展示コーナーが設けられています。






音威子府
美深の次の主要駅となる音威子府駅。音威子府村の中心駅ですが、村の人口は最盛期には4000人を超えていたものの現在は700人を割り込むところまで減ってしまっています。しかしながら、かつて天北線が分岐した要衝で、利用者数は人口規模の割には善戦しているほうです。もっとも、かつての天北線の代替バスが廃止されてしまいオンデマンド交通になったことから、浜頓別方面からの乗客の取り込みが難しくなり今後利用者数は苦戦が予想されるところではあります。音威子府駅には天北線資料室があります。




音威子府駅といえば、忘れてはならないのが駅そば。黒い麺の音威子府そばは、駅そばマニアにはつとに知られている駅そばです。2021年に店主の方が亡くなられたことでいったん閉店し、また麺の提供元である畠山製麺も高齢により廃業され、復活は難しいと思われていましたが、関東の飲食店の方の研究で音威子府そばを再現し、新音威子府そばとして復活したものを逆輸入する形でシーズン・曜日限定ながら駅そばが復活しました。土曜日の営業日に合わせて訪問予定でしたが残念ながらこの日は臨時休業とのことで音威子府駅そばにはありつくことができませんでした。

幌延
幌延駅は、かつて留萌から幌延を結ぶ羽幌線の終着駅でした。札幌から稚内を目指す場合は距離的には日本海沿岸を通ったほうが早く、羽幌線が通っていた当時は札幌から幌延の最速ルートは羽幌線経由でもありました。幌延駅には美深や音威子府ほど立派な資料室があるわけではありませんが、羽幌線の写真の展示があります。



名寄、美深、音威子府、幌延は、途中駅となってしまった現在でも宗谷本線の主要駅として町のシンボルの1つとして頑張っています。マイカー社会の現在では再び表舞台に立つことは難しいかもしれませんが、末永く活躍してほしい駅たちです。


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